「感冒の床(とこ)から」(「横浜貿易新報」大正7年(1918)11月10日)
この風邪の伝染性の急劇なのには実に驚かれます。私の宅などでも一人の子どもが小学から伝染して来ると、家内全体が順々に伝染してしまいました。ただこの夏備前の海岸へ行っていた二人の男の子だけがまだ今日まで煩わずにいるのは、海水浴の効き目がこんなに著しいものかと感心されます。(中略)
政府はなぜいち早くこの危険を防止する為に、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、なるべくこの際多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、学校医もまた同様の事を子どもたちに注意しているのです。社会的施設に統一と徹底との欠けているために、国民はどんなに多くの避らるべき、禍を避けずにいるかしれません。
今度の風邪は高度の熱を起しやすく、熱を放任しておくと肺炎をも誘発しますから、解熱剤を服して熱の進行を頓挫させる必要があるといいます。然るに大抵の町医師は薬価の関係から、最上の解熱剤であるミグレニンをはじめピラミドンをも飲ませません。胃を害しやすい和製のアスピリンを投薬するのが関の山です。一般の下層階級にあっては売薬の解熱剤をもって間に合わせております。こういう状態ですから患者も早く治らず、風邪の流行も一層烈しいのではないでしょうか。(中略)平等はルッソーに始まったとは限らず、孔子も「貧しきを憂いず、均しからざるを憂う」といい、列子も「均しきは天下の至理なり」といいました。同じ時に団体生活を共にしている人間でありながら、貧民であるという物質的の理由だけで、最も有効な第一位の解熱剤を服すことができず他の人よりも余計に苦しみ、余計に危険を感じるという事は、今日の新しい倫理意識に考えて確かに不合理であると思います。