さかい待庵
利休作で唯一現存する京都府大山崎町の妙喜庵(みょうきあん)の国宝「待庵」を、研究成果に基づき、職人たちが創建当初の姿で復元したものです(監修=中村利則氏)。申し込みをすれば茶室内に入り、説明を聞きながら、その佇まいを肌で感じとることができます。
※内覧には、さかい待庵ツアー、もしくはさかい待庵特別観覧セット(展示観覧・呈茶含む)のチケット購入が必要。事前予約制、空きがあれば当日参加も可。実施時間・空き状況についてはお問合せください。
無一庵
天正15年に豊臣秀吉が開催した北野大茶湯において、茶頭をつとめた千利休が構えた四畳半茶席を再現した茶室です。千利休茶の湯館名誉館長である利休居士第15代前家元鵬雲斎 千玄室氏による命名です。
三千家茶室
茶道三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)の御家元から御命名いただいた茶室が並びます。
西江軒(せいこうけん)
表千家14代而妙斎 千宗左氏による命名です。
天正3年正月元旦、南宗寺において笑嶺和尚による歳旦説法(※)の際、利休居士の問答中の語「吸尽西江水」に由来するもので、堺(左海、西の海)の地の茶席の意も込められています。(※表千家様のご教示)
風露軒(ふうろけん)
裏千家16代坐忘斎 千宗室氏による命名です。
千宗易が「利休」という道号を勅賜された際に、参禅の師であった大徳寺の古渓宗陳から送られた偈頌(げじゅ)の結句である。「風露新に香る隠逸の花」に由来するものです。古渓の語録である『蒲庵稿(ほあんこう)』に収録されています。
得知軒(とくちけん)
武者小路千家14代不徹斎 千宗守氏による命名です。
長谷川等伯筆「千利休画像」(表千家不審庵蔵)の賛にある「頭上巾兼手中扇厳然遺像 旧時姿趙州且座喫茶底若不 斯翁争得知」の結句に由来するものです。
立礼席 南海菴(なんかいあん)
立礼席は南宗寺 田島碩應老師による命名です。堺は南海の枢要の地であり、日本文化の発航と外来事情の進取という歴史的役割を果たしてきました。南は神聖、真理なる地を意味し、海は生命の全て、あらゆる活動の総体の場です。利休居士の求道した茶の誕生と発展が南海、即ち堺であったことは偶然ではないという想いから名付けられました。